旧No.2コースを出来る限りトレースしてみた。
見渡す限りの大根畑や岩礁を歩くなど、元はコースの一部だっただけに見所の多い連絡コースだ。
ただし、コースから外されたのにはそれなりの理由がある。
今回はその確認をしに行ったという感じである。
一部歩行に危険なところもあるのであまりお勧めはできない。
矢作入口バス停に到着。
三崎口駅からバスですぐだ。
県道を歩いていく。
コースは写真のところで右折するのだが、まずは三崎口駅まで行く。
三崎口駅に到着。
さっきバスで通った道をそのまま戻ってきただけなので、少し馬鹿らしい感じもするが、ここまでが本来の連絡コースで、ここが旧No.2の起点になる。
案内板や標識の名残でもないかと少し探してみたが見当たらなかった。
駅前の蕎麦屋でかけ蕎麦とまぐろコロッケを朝食に食べた。
さて、ここからは『新版首都圏自然歩道』(1994年発行)を参考に旧No.2コースをトレースしてみる。
さっきのところまで戻り、県道から逸れて脇道に入ると早速見渡す限りの大根畑とキャベツ畑が出迎えてくれる。
行く手には富士山や伊豆半島まで綺麗に見える。
これは素晴らしい景色だ!
ここが連絡コースなんてかなりもったいない。
しばらく景色に圧倒されながら直進する。
ここで左折するようだ。
相模湾まで見える。
本当に美しい景色だ。
しばらく歩くと民宿の並ぶ集落に入る。
『新版首都圏自然歩道』では夏に「精霊流し」を見るために宿泊するのも良いと書いてある。
海に流されていく精霊流しの船はさぞ幻想的な景色なのだろう。
機会があれば是非見てみたい。
さて、この辺りから三戸浜に出るはずなのだが、標識がないため何処から出れば良いのか見当つかない。
とりあえず道の突き当たりから初声漁港に出てみるが、「漁業関係者以外立入禁止」の立て札が道脇にあったりしてこのまま進んで良いものか逡巡する。
まあバリケードや門が無いので、どこが立入禁止なのかは具体的には分からない。
『新版首都圏自然歩道』の記載どおり、岩礁に出て岬を周っていく。
かつて道があった名残も少し見受けられるが、崖崩れの跡などがそのまま放置されているのを見るに、もはや道としては利用されていないのが分かる。
ここは浮石も多く、岩が滑りやすいので結構危険だ。
少し引き返そうか迷いながらも、結局そのまま進んだ。
日陰になっていて吹付けてくる風が冷たい。
小さな砂浜に出てきた。
さて、この辺りから農道に上がれるはずなのだが……
道を探して少しウロウロしていると写真のような舗装された歩道を見つけた。
これではないか?
上ってみる。
新しい別荘のような家の下を通って農道に出てきた。
……が、道の入口に「私有地につき通行できず」の看板。
……通っちゃ拙かった?
まあ知らずに通ってきてしまったものは仕方ない。
『新版首都圏自然歩道』に描かれているルートとは微妙に違っているようなのだが、探しても他に道も見つからないし、かつての標識と思しき木柱も道の入口に立っているので、ここが旧No.2コースでほぼ間違いはないと思う。
再び大根畑を眺めながら農道を歩く。
しばらく歩くと、新しく広大な圃場が整備され道が寸断されている。
12月24日はここでかなり迷ったが、すでに迂回路を見つけてある。
とりあえず圃場を横断して突き当たりまで進む。
写真の斜面の上に道の続きがあったのだが、斜面を上る以外にここから道に取りつく術はない。
そこで振り返ると写真のような轍跡がある。
公道ではないのかも知れないが、迂回路に使わせてもらおう。
農作業道のような道を上っていくとコースに合流する。
僕は写真手前から来たが、コースは左から来て右の山道へ入っていく。
そのまま右の山道に入る。
ここから先は「小網代の森」というしっかり整備された散策路なので安心して歩ける。
山道を下っていく。
小さな入江に出てきた。
コースは直進なのだが、「橋老朽化のため立入禁止」の立て札。
一瞬えっと思ったが、すぐ向こうに散策路が新しい橋を設けている。
ありがたい。
白髭神社に到着。
参拝してきた。
入江の船の係留所を脇目に歩いていく。
リゾートマンションのところから坂を上る。
県道に出てきた。
ここで現No.2コースとも合流する。
現No.2コースは写真のところで左折するが、そのまま直進する。
油壷バス停に到着。
ここが現No.2のコースの起点になる。
元のコースの三分の二ほどが外れてしまっていることが分かる。
ちなみにこの辺りも旧コースと現コースは違っていて、旧コースは油壷を一周してきた後、右手から左手の路地に入って油壷湾ヨットハーバー沿いに坂を下る。
というわけで、バス停を素通りして油壷に向かう。
写真のところを左に入ると油壷を一周してくる「油壷ハイキングコース」に入れるようだ。
旧コースとも一致しているので、とりあえずこの道を辿ってみよう。
砂浜に出るまではよく整備された気持ちのいい遊歩道になっている。
右手には三浦半島の名の由来にもなっている、三浦道寸が北条早雲を相手に三年間も立て籠もり戦った舞台の新井城址がある。
討ち死にした三浦一族の血が湾を赤く染め油のように見えたことから油壷の名が付いているのだという。
荒井浜に降りてきた。
かつてはここと城ヶ島を結ぶ観光船があったそうだが、波止場が朽ちているのを見るところ、もはや運行されていないのだろう。
砂浜から岩礁を歩いていく。
ここは現役のハイキングコースになっているだけあって歩きやすく整備されているようだ。
しかし今日歩いている人は僕以外には居ないようだ。
風が冷たいが、ここは日当たりも良いので少し休憩がてらコーヒーを飲んだ。
うう、寒い。
ここが胴網海岸だろうか。
胴網海岸から少し坂を上ったところに三浦道寸の墓がある。
手を合わせてきた。
ハイキングコースは胴網海岸から車道に上るのだが、旧コースはそのまま岩礁伝いに歩くことになっているので行ってみた。
急に歩かれている感じがなくなり、ほぼ岩をへつるような感じでどうにかこうにか進んでいく……が、写真の横堀海岸手前で波に阻まれてどうにも進めなくなってしまった。
かつてのコースは桟橋でもあったのだろうか。
仕方なく引き返す。
ハイキングコースを使って胴網海岸から坂を上ると、油壷マリンパークの前を通る。
車道から横堀海岸に降りて旧コースに合流した。
横堀海岸から岩礁沿いに車道に上る道が旧コースだったようなのだが、そのような道を探したが全く見つからなかった。
写真のところで横堀海岸から上ってくる道があったようなのだが……今はただの空き地のようになっていてどう道が接続していたのか分からなくなってしまった。
不完全燃焼だが、油壷バス停でとりあえず連絡コースはゴールとした。
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