嫌な予感的中……の、青森県最初のコースにして、なかなかの迷い道だ。
しかし見所は多い。
最初に旧奥州街道から馬淵川の雄大な景色を眺め、次いで長閑な農耕地を抜けていくと、市街地から三戸城跡へ。
三戸城跡を下りしばらく行くと終盤には南部利康霊屋がある。
最後は果樹園を眺めながらゴール、という盛りだくさんの素晴らしい構成である。
是非三戸町を巡るモデルコースとして歩いてもらいたいので、もっとコースの整備と正しいコースマップを……
ちなみに、青森県はホームページでコースマップを公開していないので、観光企画課に問い合わせて取り寄せる必要がある。
いきなり案内板はおろか、標識もないので不安すぎるが、コースマップのとおり路地を歩いていく。
早速、畦道になった。
おいおい……
そして道は潰えた。
コースマップによれば、この小さな山の中腹を横切っていくはずなのだが……
道や標識はもとより、踏み跡すら見当たらない。
はあ……いきなりかよ。
仕方なく戻って、舗装路が畦道に変わるところの分岐を入ってみる。
こっちも未舗装ではあるが……道は続いている。
地理院地図だと繋がっていないのだが。
教習所の脇を歩く。
完全に農作業道だが、一応道は続いている。
国道4号に出てきた。
案外、コースマップが間違っていて、この道が正しい可能性もあるが、標識の1本もないので確証はない。
一応コースマップに記載されている道の出口と思われる場所も発見したが、奥まで行って確認はしなかった。
国道を横断したところでようやく案内板が現れる。
右手の山道を行くようだ。
さて、先は長いぞ。
薄暗い森の中を歩くが、意外と路面がしっかりしている。
というか、いわゆる山道のそれとは明らかに違う、荷車を通す程度の幅に作られた道路の、古い土木工事の跡を感じる。
すぐにピンときた。
これは旧街道だろう。
切り通しを抜けると、一里塚の解説板があった。
やはり旧奥州街道だったようだ。
旧街道をハイキングに来る人は多いので、こういうところは地元の人たちで意外とちゃんと整備されていることが多い。
往時の雰囲気を残したままの道は、やはり良い。
おおっ!これは!
駕籠立場である。
この先にある蓑ヶ坂という急坂を登ってきた旅人たちがここで休息したそうだ。
眼下には馬淵川が大きくうねりながら流れ、雄大な景色を眺めることができる。
馬淵川に取り囲まれた台地にはりんごの果樹園が広がっている。
早速青森県らしい景色を見ることができて感動である。(馬淵川の内側は実は岩手県なのだが)
ここでしばらく景色を堪能して休憩した。
駕籠立場を後にすると、早速第二の迷いポイントである。
旧奥州街道はバリケードがある左の道で、この先が蓑ヶ坂と呼ばれる急坂で、坂を下ると岩手県の「釜沢」という集落に降りてしまう。
しかし、東北自然歩道のコースはここから「梅内」という、山を隔てた反対側の集落に降りるようになっている。
少し辿ってみたが、蓑ヶ坂は深い切り通しが続く道で、途中に分岐もありそうにない。
つまり、コースマップの道筋とは少し違っているのだが、消去法でここは右が正解ということになる。
そして、これが右の道である。
明らかに長いこと誰も歩いていない、荒れた藪道である。
うう……旧街道に戻りたい……
ヤケクソになって藪や灌木をかき分けると、杉が植林された暗い森の中の道に出てきた。
ちなみに、地理院地図だと前述の「釜沢」と「梅内」を直接結ぶ道が描かれているが、そんな道はない。
というか、そこは旧奥州街道の蓑ヶ坂が横断しているので、あるはずがない。
国土地理院も何を根拠に地図を描いたのだろうか……
(コースマップも地理院地図につられておかしな線形でコースを描いている)
暗い森を抜けると「梅内」集落に出てくることができた。
やれやれ。
長閑な集落を歩いていく。
集落の中に鞍沼という沼がある。
この沼の主であった大蛇が蓑ヶ坂で蓑に化け、蓑を身に着けた旅人を沼に沈めて殺していたので、それを聞いた南部藩士の玉山兵庫がこれを退治した。
主を失った沼に、代わりに馬の鞍を沈めたので鞍沼と呼ぶそうだ。
子安堂という古いお堂と、傍らにそれを見守ってきたであろう古木があった。
古くから集落の信仰を集めていたのだろう。
再び国道4号に出てくる。
今回は少し国道を歩く。
途中から歩道がなくなってしまったのでひやひやした。
分かりづらいが、右手にいくつか建物が現れるところに分岐点がある。
建物の間にあり、目立たない路地に入り、坂を上る。
坂を上り切ると丁字路に突き当たる。
標識が見当たらないが、左だ。
岩手県の浄法寺でも見たタバコ畑だ。
りんごやぶどうの果樹園、その他の農耕地が広がる長閑な風景を歩く。
気持ちいいところだ。
市街地に出てきた。
古い宿場町を思わせる町割だ。
ここは北海道の函館へ向かう奥州街道と、秋田の鹿角へ向かう鹿角街道の分岐点だったそうだ。
ちなみに写真に写っている標識、青森県ではよく見かけるタイプなのだが、分かりづらいので止めてほしい……
コースマップと反対の方向に矢印が向いているが、標識のミスだろうとコースマップに従ったところ、どうやらここは標識が正しかったようだ……
正しいコースでは長栄寺を経由する。
これを見逃してしまった。
熊原川を渡る。
関根の清水。
名馬の産地として名高い三戸の御野馬別当であった一戸五右衛門が、野点の清水として愛飲したそうだ。
関根の松。
南部家に仕えていた一戸兵部綱定が三戸に屋敷を移す際に移植したものだそうだ。
これは立派な松だな。
躍動するかのような枝葉は、まさに天然の創りし芸術品だ。
松を眺めながら少し休憩した。
再び熊原川を渡る。
そして、この先で再びコースを見失う。
コースマップにあるような道がどうしても見当たらない……
この後は写真の左手に見えている三戸城跡の山に登るはずなのだが……
仕方なく大きく迂回して南側の車道から三戸城跡へ登っていくと、途中に山道が合流してくるポイントがあり、そこに標識と案内板があった。
う……やはりどこかに別の入口があったのか。
どこにあったのだろう……
そのまま車道の坂を上っていくとすぐに写真の分岐がある。
また標識がないが、ここは左の階段を行く。
紫陽花が綺麗だ。
三戸城跡大手門「綱門」。
おお!これは凄いなあ。
当時のものではなく、平成元年に再現建築されたものだが、やはり実際にこうして物がないと城って感じがしないよなあ。
「武者溜」の坂を上っていく。
ここで正門を突破してきた敵勢を迎え撃ったのだそうだ。
南部家家臣たちの屋敷跡を抜けると糠部神社の境内に入る。
参拝した。
三戸城本丸跡は駐車場になっていた。
これはちょっと興醒めだな。
本丸跡を後にすると坂を下っていく。
またしばらく標識を見かけないので合っているのかどうか不安だ。
お、展望台のようだ。
どれどれ……
三戸町を見下ろす。
山間に開けた静かな街だ。
三戸城裏門「鍛冶屋門」跡のところにようやく標識を見つけた。
大きな石垣が残っていた。
往時の姿が想像できないが、ここにも綱門のような荘厳な門があったのだろう。
少しだけ山道を歩く。
麓の集落に降りてきた。
熊原川を渡る。
市街地に出てきたぞ。
……ん?
標識が妙なところにあるな……
まさか。
何故わざわざこんなところを通るのだ……
一応草が刈られているので普通に歩けるが……
ここからこのコースの最後の迷走が始まる。
ようやく狭い路地裏の道を抜けたと思った矢先に……
おいおい、まさか。
えーっ!これ通っていいのか!?
どう見ても果樹園の中の作業道だろう。
農家の人に怒られやしないかひやひやだぞ。
本当にこのコースは良くも悪くも展開が激しいな。
そしてついに行き止まりに。
路地裏の入口から標識を見ていないが、結局コースマップはここまで合っていたのか……?
仕方ないので大通りに出る。
大通りに出て少し行くと馬暦神社と唐馬の碑がある。
オランダから徳川吉宗に送られた珍しいアラブ馬を三戸で種馬として育てていたが、その馬が亡くなった後にその亡骸を埋葬し、碑を建てて祀ったのがここのようだ。
市街地を離れて山手側の道を歩く。
猿辺川を渡る。
南部利康霊屋に到着。
自由に見れるのかと思ったら、拝観料を払って倉庫を開けてもらうようだ。
残念だが、もう閉館間際だったので見学は止めておいた。
周りで何やら発掘作業が行われていた。
どうやら戦国時代頃の遺跡のようだ。
最後は果樹園を眺めながら東へ歩く。
ゴール。
濃密で長いコースだったな……
もうすぐ日没だが、次のコースの起点まで連絡コースを歩いてしまおう。
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