2015年2月15日日曜日

              

関東ふれあいの道(群馬・栃木)『No.33-08連絡コース』

2015/02/15(日)

栃木県と群馬県を繋ぐ第二の連絡コース。
桐生から足利に向かう。
ほぼ県道67号を歩くが、山河を望むことなく終始市街地を歩かされるため、面白味はない。






















両毛線桐生駅に到着。














桐生市には様々な名物があるが、まずは腹ごしらえに近くの店でソースカツ丼を食べることにした。
結構期待していたのだが、白米の上にソースに浸かったカツが乗っているのみで、食べているとすぐに飽きる。
一応サラダと味噌汁が付いてくるが、ソースが塩辛いばかりなので、せめて白米の上にキャベツの千切りぐらいは乗せてほしいと思った。







No.33コースの起点にやってきた。
カツ丼の量が多かったので少し苦しい。
ここからスタート。













桐生第一高等学校を西側に歩くと丁字路になっているので、ここを左折してそのまま学校沿いを歩く。













そのまま道なりに歩いていくと、国登録有形文化財の桐生市西公民館がある。














同じく桐生織物記念館。
桐生市は足利市と同じく織物で栄えた町だ。














商店街に入ったところで左折して県道3号に入る。
商店街はシャッターが閉まっている店や廃ビルが目立つ。
衰退が著しいようだ。











その先で右折して県道68号に入る。















両毛線の高架下を潜る。















浄運寺という寺があったので参拝してきた。
由緒ある寺のようだ。














その先に雷電神社があった。
こちらでも参拝してきた。

途中に和菓子屋があったのでそこで花パンを買っても良かったかもしれない。










左折して県道67号に入る。
あとは足利に至るまでずっとこの道を歩く。














しばらく歩いていくと桐生川を渡る橋がある。















桐生川から足尾の方向を望む。
もう高い山は見えない。














橋を渡ると栃木県に入る。
久しぶりに栃木に戻ってきた。














橋を渡った先に小俣駅がある。















更にもうしばらく歩くと山前駅がある。















大きな病院が右手に現れた。
足利赤十字病院だ。














大きな交差点を渡る。















交差点の先で両毛線を跨ぐ陸橋を渡る。















今度は大きな掘割だ。
山を大きく切り崩して道を通している。














左手に常念寺が現れる。















国登録有形文化財の柳田家住宅・原田家住宅。
両家は生糸商として明治期に繁栄したらしい。













八雲神社があったが、参拝はしなかった。















10月に歩いた栃木県No.7コースの織姫神社が見えた。
戻ってきたのだ。













No.7、No.8コースに合流する。















4ヶ月ぶりに足利駅に戻ってきた。
足利駅は改装中だった。
ここから足尾山地の山深いところへ向かい、再び渡良瀬川に沿って戻ってきた。
次回からは赤城山を目指していくことになる。
両毛線に乗って帰路に就いた。












さて、実は幾つか気になっていることがある。
・なぜ群馬県と栃木県を繋ぐ連絡コースが2つあるのか。(群馬県No.32、No.33の存在)
・群馬県No.29、No.30、栃木県No.23、No.24コースはなぜ往復・周回コースになっているのか。
これは僕の妄想なのだが、当初は群馬県No.29→No.30→栃木県No.24→No.23は一連のコースにするつもりだったのではないだろうか。
地図を見ていると群馬県No.29と栃木県No.23・24は群馬県No.30を迎えに行っているような感じがしてならない。
しかし袈裟丸山~庚申山の間の山道は険しく、荒廃が著しい。(前袈裟丸山~後袈裟丸山の間にある八反張の崩壊、厳しい藪漕ぎなど)
更に起終点へのアクセスが悪く、山中の避難小屋かテントでの宿泊を余儀なくされるだろうことから、当初想定していたコースを改変した結果が今のコースなのではないだろうか。
また、関東ふれあいの道は本来ロングトレイルという思想で作られたことを考えると一筆書きで繋がっていなければならない。
袈裟丸山~庚申山に至るルートを通れなくなったことから、その代替として作られたのが群馬県No.32、No.33という桐生を経て足利に至るコースだったのではないか。

と言うわけで、いつか群馬県No.29-栃木県No.23という言わば群馬県と栃木県を繋ぐ幻の第三の連絡コースをいつか歩いてみるという目標が出来た。
しかし、もう一つの謎もある。
なぜ群馬県No.27とNo.28は繋がっていないのか。
そもそもNo.27の起点はNo.26の終点とも繋がっていないのでNo.27の存在自体が謎だ。
(ちなみにNo.25の終点はかつてはNo.26の起点になっていた。梨木牧場の関係でコースが変更になったのだと思う)
この辺りはもう少し机上調査の必要があるかも知れない。
         

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