古峯神社から通洞駅に向かう。
古峯神社から古峰ヶ原高原までは上り、あとは緩やかに下っていくので歩きとしては楽なコースだ。
古峰神社、古峰ヶ原高原、深山巴の宿、足尾銅山など見所は豊富にある。
また、本来は退屈になりそうな長い林道歩きは雪景色のおかげで飽きることなく歩けた。
新鹿沼駅からバスに乗って古峯神社までやってきた。
前回の帰りは暗くて何も見えなかったが、古峯神社に至るまでの大芦川に沿って走るバスの車窓から見える景色は壮観だ。
眠かったので少し車内で眠ろうと思っていたのだが、外の景色にくぎ付けだった。
一の大鳥居という大きな鳥居もバスが潜っていく。
境内の右手の階段を上ると拝殿とそれを取り囲むように社殿があるが、この中に入ると祈祷の大広間や、いくつかの和室、更に参籠、直会の施設があり、つまりここで宿泊、入浴、食事などが出来る。
No.2、No.3コースを続けて歩きたい場合は利用できそうだ。
訪れたときもちょうど祈祷が始まった頃で、太鼓の音が響いていた。
なんと社殿の前に郵便局まであった。
社殿の中の一室に、ひっそりと江戸時代に奉納されたという二つの天狗の面があった。
これは、凄い迫力だ。
思わず居住まいを正す。
境内の左手には古峯園があり、入園料を払って中に入れる。
回遊式の日本庭園で、池の周囲の遊歩道沿いには茶室や茶屋まであり、一日中でものんびりとしていられそうな場所だ。
池は寒さで凍り付いていた。
しばし池の周りを歩いた。
緩やかに上る県道58を歩いていく。
この区間は最も退屈だった。
ところどころ路面が凍結しており、何の気なしに入ってきてしまったであろう車のタイヤがスリップして立ち往生していた。
県道を逸れて山道に入る。
日陰では積もった雪が凍結していたので、ここでチェーンスパイクを装着した。
前回見れなかったへつり地蔵を見に行ってみた。
小さな祠に二体の地蔵と狸の像が祀られていた。
深山巴の宿から逃れてきた修行僧がここで捕えられ、殺されたのを憐れみ供養のため建てられたものらしい。
山道には雪の上に一つの人の足跡があった。
すでに凍り付いていたので、新雪のときに誰かここを歩いたようだ。
前回は急いでいて気付かなかったのだが、この道はどうやら廃道となった古い林道を一部利用しているようだ。
だが、路面はもちろん路肩や橋なども崩落しているところが多く、車道としての用は最早成していない。
上り詰めると古峰ヶ原高原に到着。
三枚石山頂に向かうNo.3コースの道が伸びていた。
最近購入したサーモスの山専ボトルに今朝出発前に熱湯を入れてきていたので、ここにある東屋でコーヒーブレイクにした。
スニッカーズと一緒に熱いコーヒーを、人気のない静寂に包まれた古峰ヶ原高原を見ながら楽しんだ。
何と贅沢なんだろう。
No.3コースと別れ高原に沿って歩いていくと、すぐに古峰ヶ原ヒュッテが見えてくる。
いわゆる山小屋で、布団などもありその気になれば宿泊出来そうだが、それほど山奥でもないのにその需要はあるのだろうか。
左手に高原を見ながら歩いていく。
長閑なところだ。
鹿の足跡と思われるものをトレースして歩いていく。
少しすると深山巴の宿に着く。
勝道上人の開いた修験道の場であったそうだ。
厳かな雰囲気だ。
御神木を背に小さな祠が建っていた。
自然に畏敬を払う山岳信仰の念は、自然歩道を歩いていると理解出来るとこもある。
しっかり参拝をしてきた。
一度県道58号に出てくるが、すぐに林道に入る。
この辺りで鹿沼市から日光市に入る。
ここから歩く林道は轍がガチガチに凍っていて普通に歩いたら転倒してしまうだろう。
ここで装着していたチェーンスパイクが活躍した。
氷の上でもしっかりグリップして全く滑ることはない。
普段通り歩いてもまるで問題ない。
ただ雪や氷のない砂利や舗装の上を歩くとガチャガチャして歩きにくいのが難点か。
林道は終始都沢に沿って緩やかに下っていく。
薄っすらと雪の積もった岩の間を清水が流れていて美しい。
写真は広場を過ぎた橋から撮ったものだが、写真手前に旧橋と思われる木造の橋が崩落したそのままに放置されていた。
こんなところに車が来るはずもないと思っていたが、凍結した路面を物ともせず四駆車が何台か林道を上ってきた。
流石の性能だ。
チェーンスパイクのおかげで雪景色を楽しみながら軽快に林道を歩いていける。
一度スパイクが引っかかってチェーンスパイクが脱げてしまったのだが、そのときそのまま滑って転倒しそうになった。
スパイクなしではかなりハードな路面だということが理解できた。
右手を見ると眼下の渓谷を都沢が流れている。
ときおり滝があるのも確認できた。
これも冬で木々の葉が全て落ちているからこその景観だろう。
都沢が近づいてくると、それを橋で渡る。
橋の先で滝になっていて、沢はまた深い渓谷に潜っていく。
路面凍結がなくなったので、ここでチェーンスパイクを脱着した。
行く手に冠雪した山々が見えてきた。
男体山や白根山だろうか。
県道15号に出てきた。
更に下っていく。
日陰はやはり凍結していて危ない。
慎重に歩く。
県道15号に合流した辺りから都沢に久良沢が合流し、内の篭川になる。
内の篭川を渡る手前で県道15号を逸れて左折する。
行く手に備前楯山が見えてきた。
内の篭川が渡良瀬川に合流した。
それを立派な鉄橋の足尾橋で渡る。
橋を渡ると足尾町通洞集落に入る。
渡良瀬川沿いの集落を望む。
かつて銅産業で栄華を極めた町だが、時期的なものもあるのか、町はしんと静まり返っている。
渡良瀬渓谷鉄道線通洞駅に到着。
ここに来るまで通った集落は本当に静かだった。
過疎化が深刻であることを実感した。
通洞駅に着いたのは14時30分頃だった。
集落の飲食店で遅めの昼食を取ろうと期待していたのだが、軒並み閉まっていた。
仕方なく買っていたおにぎりを食べ、銅山観光に向かった。
トロッコに乗って通洞坑に向かう。
トロッコを降りると、その先に更に1200kmにも及ぶ坑道が縦横無尽に張り巡らされている。
うっかり迷い込んだら二度と出られそうにない。
350年以上にも及ぶ採掘によるものだ。
足尾銅山と言えば田中正造が当時の天皇に直訴した足尾銅山鉱毒事件が有名だ。
銅山は人々に多くの恵みをもたらすと同時に多くの被害をもたらした。
やはり自然とはそう簡単に律することの出来るものではないようだが、その犠牲が技術を進歩させてきたのもまた事実だ。
いずれにせよ、恵みをもたらす自然と犠牲になってきた人々に畏敬の念を忘れてはいけないのだろう。
坑道の一部を解説を聞きながら進む。
写真は鉄分が岩の表面に結晶化している箇所。
銅分が岩に付着して青に変色しているところもある。
通洞坑を出ると、上に製錬所の廃墟が見えた。
銅山観光から出てきたところに通洞鉱神社があった。
鉱山の盛衰を見守ってきた神社だ。
参拝した。
通洞駅に戻り待っていると、エンジン駆動のワンマン列車が来た。
ここから帰宅するのに4時間30分もかかってしまった。
かなり遠いところに来たようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿