今別町から高野崎を経て、平舘まで海沿いを歩く。
美しい津軽海峡と陸奥湾の海が目を楽しませてくれ、特に高野崎からの景色は最高。
竜飛崎から青森市まで続く松前街道の核心部を歩くことになり、連絡コースだが要所要所に見どころも多く、ハイキングにはうってつけのコースである。
さて、今日は長いぞ。
楽しみだ。
ここから程なくして青函トンネルへ入るのだろう。
古い道の方が面白そうだ。
右の道へ入ってみる。
空が開けて爽快な道だな。
昔ながらの街道のようだ。
これは県道を歩いていては見られなかった。
気まぐれの寄り道はしてみるものだな。
樹齢500年の老木が稲荷神社に立っていた。
この地で時代の移ろいを見守ってきた御神木だ。
手を合わせてきた。
夏が終わり、秋がやってくる。
右へ。
気持ちいいなあ。
いつまで見ていても飽きないな。
かつては海岸沿いに道が有り、吉田松陰もあの穴を潜ったのだという。
ここで少し休憩。
コーヒーを飲んでくつろいだ。
向こうに見えるのは、もしや北海道ではないか?
ううむ、こんなところまで歩いてきたのだなあ。
感激だ。
袰月海岸の小さな湾だ。
情緒があるね。
脇に小さな滝が流れている。
しかし海雲洞……?
見渡してみるが洞穴のようなものは見当たらない。
これは、もう少し歩いていくと理由が分かる。
舎利浜。
かつては仏舎利の代替品として使われる舎利石は、この浜で取れたものを使っていたそうだ。
だが、護岸工事によって浜は消失してしまい、浅瀬がかつて浜があったことを偲ばせるようになっている。
何の案内も無いが、日本における仏教では、ここで取れる舎利石は珍重されていて、歴史的、宗教的にもかなり重要な土地のようである。
高野崎はキャンプ場になっていて、人で賑わっている。
階段で袰月海岸に降りることもできる。
高野崎の海岸には太鼓橋が架かっていて、先端の先の小島にまで渡れるようになっている。
それにしても、なんて透き通った美しい海だろうか。
津軽海峡は美しい!
灯台と竜飛崎。
そして……北に霞むのは北海道の渡島半島である。
北へ歩いてここまでやってきて、ついに海の向こうの北の大地を肉眼で捉えた。
もう気分は最高潮だ。
思わず叫びだしたいような気分だった。
なお、ここで歩く方向が北上から南下に転じる。
少し寄り道しよう。
藩政時代は、ここで採れる赤土が神社仏閣の塗料として利用されていたそうだ。
最近になって道路改良工事がされたようだ。
左には取り残された廃道がある。
ただ海だけが目を楽しませてくれる。
岩肌がしっとり濡れているが、水流は見られない。
なんとも御利益のありそうなところにある観音様だ。
大飢饉で人々の心が荒れ果てたときも、ここは信仰を広く集めた場所であったという。
先ほど見た海雲洞釈迦堂もこの岩屋観音堂に縁起があるようだ。
「洞」の字はこの場所に由来しているのではないか?
見当外れであったら申し訳ない。
綱不知海岸だ。
ここは大小の石が転がる海岸が広く残っている。
先ほど見た舎利浜もかつてはこのような姿だったのではないか。
時間があれば、石拾いに興じてみるのも良いかもしれない。
行く先に何やら高い塔が見える……あれは何だろう。
なんだこれ!?
調べてみると、実はこれ想像以上に凄いもので、なんと日本一巨大なコンクリート無線中継所跡で、名を石崎無線中継所、通称「津軽の塔」というらしい。
高さは89mもあり、津軽はもとより青森県でも一番高い建造物なのではないだろうか。
昭和53年に北海道との通信拠点として建てられ、以降、平成13年に光ファイバーに切り替わるまで活躍したのだという。
いやあ、松前街道は楽しいな。
このまま国道を歩いても良いのだが、せっかくなので海沿いの静かな道を歩くことにする。
車通りもなく、静かな海岸沿いの道の堤防の上を歩いていく。
楽しいな。
平舘灯台に到着。
広場になっていて爽快だ。
お腹空いたな。
歩き旅なのでビールも飲んじゃう。
味は素朴ながらもしみじみと旨い。
疲れが癒えるね。
なんと明治32年に点灯し、以来改修されながら現在まで津軽の海を照らし続けているのだそうだ。
凄いなあ。
藩政時代に異国船の上陸を防ぐための砲台跡らしい。
日本の長い鎖国の時代が終わりを告げようとしていた時代の遺構である。
もうゴールが近い。
いや〜長い連絡コースだった。
今日は見どころの多い連絡コースで大満足の一日であった。
今夜は温泉に浸かってゆっくり休もう……
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