2013年4月27日土曜日

              

関東ふれあいの道(千葉)『No.25-26連絡コース』

2013/04/27(土)

前回No.26コースを歩いてから1ヶ月近く間が空いてしまった。(実はこのコースの前ににNo.25コースを歩いてしまったのだが)
というのも4月の週末はずっと天気が悪く、ウォーキングするような感じではなかった。そして、そのせいでかなりストレスが溜まった。
そしてようやく晴れた週末、もう僕を止めるものは何もない!と勢い勇んで早朝の内房線に乗り込んだ。

今回歩くのはNo.25とNo.26の連絡コースである。と言っても関東ふれあいの道として設定されているわけではないのでコース取りは自由である。今回はシンプルに国道127から県道93号に入ってNo.25の起点のマザー牧場に向かうことにした。途中気になるものがあれば立ち寄る方針である。




前回No.26コースで帰りに利用した竹岡駅に到着である。今日は快晴!空と海と緑と道路のコントラストが目に鮮やかだ。さあ歩こう。














竹岡駅を出て国道127号を歩く。前回竹岡駅まで歩いたときは夕方から夜を歩いたが、今日のような快晴の日に歩くこの国道は本当に気持ちいい。
左手に浦賀水道の豊かな海を、右手には南房総の稜々たる山脈!











車道と歩道に同時にトンネルが現れた!
歩道の植樹帯には可愛らしい花が咲いている。
4月は桜を見に行く間もなく悪天候であっという間に散ってしまったが、その他の花はまだまだこれからが見頃である。
現れたトンネルは城山トンネル(車道)と城山歩道トンネル(歩道)という。車道の方は昭和18年、歩道の方は昭和54年竣工なので、歩道の方は車道の幅員が狭いので後に作られたものだろう。
ちなみに城山というのはこのトンネルの通る山を指していて、かつて造海城という城があったらしく、山頂には城址が残っているという。



トンネルを抜けると「灯篭坂大師参道」と謳う鳥井のような白い門が道脇に現れた。
門の脇に設置された縁起文によれば、かつて空海がこの地に訪れたときに岩に自画像を刻み、それを慕った住民がこの山に常夜灯を灯し、それがいつしか漁師たちに灯篭坂と呼ばれるようになったのがことの起こりだという。(灯篭坂にて空海(弘法大師)を本尊とするので灯篭坂大師というわけである)
参道の奥を覗くと内房線のトンネルの上に……参道の素掘隧道が!?
これは面白そうだ。ちょっと寄り道しよう。



「灯篭坂大師入口」と書かれた石柱を脇に据えた隧道。隧道の先は森になっているようで、これから神聖な地に入るのだという気持ちになれる、雰囲気のある隧道だ。
隧道内部の壁面は斜めに走る地層の模様が見られて面白い。







雰囲気のある隧道を抜けると……
なん……だと……
なんだかとんでもないものが右手に現れた!
第三種接近遭遇!なんだこりゃ!













偶然にもすごいものに遭遇してしまった。興奮のあまり鼻息も荒くなる。ふんふん。お、落ち着け……
とりあえず、とにかくデカイ隧道だ。素掘りの。
道幅も2車線はあるだろう車道規格だが、何よりその異形を際立たせるのはその断面の縦長さだ。
写真ではあまりそのデカさが伝わってこないが、とにかくデカイ。そして今通ってきた隧道もそうだが、なんだか断面が矩形っぽくない?素人が考えても(僕は土木屋なので専門のはずだけど)隧道の断面は円に近い方が地山に対する支持力が高いはずだ。それが矩形なのは……なんでだろう。分からん。崩壊が全く危惧されないほど地山が良いので好き放題に穿ってみた感じだろうか。





この写真ならデカさが伝わるだろうか。これは決して屈んで下からローアングルで撮った写真ではない。普通に立って撮った。僕の身長は写真左奥の電灯の下にある看板のあたりに頭がくるぐらいだろうか。

というか僕はこの隧道を見たことがある。某有名サイトの国道127号の旧道のレポートの中で見たのだ。そのときは千葉県にもこんな珍しいものがあるのだな、という感想といつか機会があったら行こうという決心をしたのだが、今日は全く不意打ちに遭遇してしまった。
これは確かに凄い……サイトのレポートで見るのと実際に見るのでは圧倒感が全然違うのだということを思い知った。
しばらく唖然としながら隧道内部からその内面を見上げた。
涼しい風が勢いよく通り抜けていた。



圧倒的隧道を抜けるとそこは灯篭坂大師である。ちなみにこの隧道については富津市ホームページの観光情報の中に「燈籠坂大師の切通しトンネル」として由来が紹介されている。曰く、隧道内の上下が激しかったため、切り下げたらしい。切り下げすぎでしょ……ダイナミックすぎる。








灯篭坂大師本堂まで登ってお賽銭を供えて旅の安全を祈願した。(灯篭坂大師の縁起によれば大漁を祈願をしていたらしいが)
本堂の先にはまだ道が続いていて、写真のような石造りの階段の先に切り通しがあった。
こちらが旧参道だろうか。更に寄り道しようと切り通しを通ると、道の真ん中に野鼠の死骸があり虫が集っていた。うう……縁起悪いな……。
これは何か帰れって暗示な気がする。切り通しの先には山道のような道が続いていたが、大人しく国道に復帰することにした。





2つの隧道を再度通り抜け、国道に復帰。
この先に県道91号への分岐があり、県道91号は鋸山自動車道の竹岡インターチェンジに接続されているのだが、その予告電光掲示板に「東金JC←→木更津東 本日14時開通」と出ていた。おお!そういえば今日開通か!
実は千葉県の中央を縦走する圏央道の東金~木更津間が今日開通なのだ。言わば圏央道の代替機能を今まで鋸山自動車道が担っていたわけだが、それも今日まで。千葉県の交通の便もこれでずいぶん良くなることだろう。





ここが県道91号へ分岐する交差点「竹岡IC入口」。内房線の下を潜っている。














ダブルトンネルの次は、ダブル切り通しだ!
写真左が旧道で右が現道ということらしい。現道は路肩が歩きにくそうなので、僕はせっかくなので旧道を選ぶ。

しばらく行ったところで腹が減ったのでちょうど道沿いに現れたラーメン屋「鈴屋」で昼食にすることに。なんでも巷では「竹岡ラーメン」として有名なご当地ラーメン発祥の店であるらしい。なんたる偶然。
竹岡ラーメンと言えば醤油臭いスープに玉葱が乗ってると聞いていたのだが、注文して出てきたラーメンは割と普通の中華そばのそれであった。うーむ、どうせなら「竹岡ラーメン食ったぜ」と話のタネにしたかったのだが、まあ食べたことには間違いなかろう。

内房線が湊川を渡る湊川橋梁が見えた。大正14年開通の単線下路ワーレントラス橋である。(あるいは上路プレートガーダー橋。橋は難しいね……)内房線は本当に貴重な土木遺産が多い。
ここを過ぎると湊交差点で国道127号と別れ、県道93号に入る。









県道93号をしばらく行くと岩谷堂という堂への参道を道脇に発見。入口にある説明文によると、奈良時代の行基という高僧によって一夜で掘られた石洞や仏像があるという。…………本当かなー。なんか仏教関連ってやたら「一夜にして~」みたいなトンデモ由来が多くないですか。今なら削岩機とかでガガガーッとやれば一夜で出来ないこともなさそうだけど。

寄り道しよう。参道を登る。
この周辺の小山の上に「ぐわあぐわあ」という鳴声とともに大きな鳥が群れていた。アオサギだろうか。




岩谷堂本堂。こういう雰囲気の御堂好きだなあ。ここでもお賽銭を備えて祈願。御堂後ろの岩にはいくつもの穴が穿たれていて、その奥の壁面には多数の仏像が彫られている。なんでも全ての石洞を巡ると日本全国の寺社を巡るほどの御利益が得られるのだとか。そんな馬鹿な。というかそんなんでいいのか仏教。

そんな石洞の中でも一際気になるのが……







これである。
本堂の後ろをコの字型にくり抜いた通路のようになっている。壁面には仏像がびっしり並んでいる。
奥は割と暗いので入口に懐中電灯が2つ置かれている。

……カチカチ。……カチカチ。

どっちも点かない。電池切れしてる。
まあいいや。いざ入洞。
身を少し屈めないと進めないぐらいの狭さ。なんかこういう狭くて暗い通路はゲジとかいそうで嫌だなあ……



通路を出ると遺跡みたいな光景だ。
どうしてこんなものをここに掘ったんだろう。なにか由緒ある地だったのだろうか。













さて寄り道もほどほどに……ってもうすでに結構時間が経ってしまったな。更に良いところにコンビニがあったので、漫画読んだりコーヒー飲んだりで少し休憩した。
湊小学校下交差点から更和交差点までは国道465号との重複区間である。
そして更和交差点で県道93号は左に。ここから鹿野山に向かって登り始める。








水田のパノラマが広がる気持ちのいい道だ。
しばらく高揚した平和な気分で歩く。
行く先に見えていた山々が徐々に目の前に近付いてくる。












舗装された山道を登っていく。勾配は車道規格なのでさほど辛くはないが、結構距離が長いので膝にくる。
途中旧道と思しき気になる道をいくつか見つけた。No.25コースでも気付いたことだが、鹿野山には神野寺への旧参道がいくつか眠ってるのだと思う。廃道探索とか好きな方は是非探索に来てレポートしてほしい。









うんしょ、うんしょ……最後の坂が結構キツかった。
ほどなくしてマザー牧場に到着。

実はマザー牧場のバス停から神野寺行きのバスに乗ろうと思ったのだが……目の前でバスが去って行った。次の便を待とうにも、そのバスに乗ると帰りの便がなくなってしまう。困った。

でもとりあえずは連絡コース踏破である。約19.4km。4時間弱。
連絡コースとしてはもったいないぐらいに見所満載で歩くのが楽しい道だった。




おまけ


帰りの佐貫町駅行きのバスが来るまで時間があったので、No.25コースで迂回となっているコースがどうなっているのか気になったので確かめに行ってみた。
マザー牧場の駐車場の奥にコテージに降りる道がある。普段はゲートが閉じているのだろうが、この日は何故か開いていたので入ってみると、入場ゲートを通過することなくここからマザー牧場場内に入れてしまうようだ。……いいのかこれ?
マザー牧場とは反対側に下っていく道を歩くと林道鹿野山線の起点に着く。




No.25では途中から歩く林道鹿野山線だが、静かで良い雰囲気の林道である。
迂回するようになってしまった理由はやはりマザー牧場の駐車場を横切らないといけないからだろうか。それとも前は駐車場がなかった?
















あるいはこのカラーコーンにある「倒木のため通行注意」が原因だろうか。
歩いてみたが通行の妨げになるような倒木はなかった。












No.25コース迂回路はこの階段を降りてくる。(僕が歩いてるのは逆周りなので普通は登る)
つまりここが迂回路コースと元No.25コースの合流地点だ。この先にはトンネルがある。
迂回路を通ってマザー牧場まで戻り、佐貫町駅行きのバスに乗って帰路に就いた。
         

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