2019年11月2日土曜日

              

新・奥の細道(岩手)『No.14賢治文学散歩のみち』

2019/11/02(土)

宮沢賢治が生まれ育った花巻の里を歩く。
胡四王山山頂から眺める景色と終点にある宮沢賢治碑には心打たれるものがあるが、それ以外はやや退屈な歩行となる。
途中、猛烈な藪で大迂回を余儀なくされることと、コースマップと標識が不親切で迷わされる。
また、一番の見所であろう宮沢賢治記念館の近くまでは来るものの、コース自体は通らないので、興味がある場合はコースを逸れて寄り道する必要がある。


















新花巻駅に到着。
コースの始点が新幹線の駅に近いのは便利だ。

















駅から少し歩いたところの交差点が始点のようだが、標識や案内板は見当たらない。
コンビニの脇にブドリとネリ像がある。
宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」という童話のキャラクターらしいな。
















更に西に少し歩くと標識がある。
左折して県道を離れる。

















釜石自動車道を潜り、その先の釜石線の踏切を渡る。
案内板と胡四王山の解説板があった。










胡四王神社に寄り道する。
長い階段を上っていく。















胡四王神社だ。
参拝してきた。














胡四王神社からの眺望。
釜石線を走る蒸気機関車を撮りに鉄道ファンも来るようだ。
長閑で良い景色だ。
宮沢賢治もこの景色を見て創作意欲を掻き立てたのだろうな。
宮沢賢治記念館へは胡四王神社から南東へ道を下るようだ。
今回はあまり時間がないのでパスした。












胡四王山を降り、釜石線沿いの夏草に埋もれてしまいそうな畦道を歩く。
やはり鉄道ファンが通っているようだ。
歩いていると蒸気機関車がやってきた。
まさに「銀河鉄道の夜」の風景だ。




















休耕地に出てきた。
道がよく分からない。

















う……密な篠の藪になってしまった……
倒木も相まってこれは……
東北に来てから色々な藪を突破してきたが……これにはギブアップ。
まさに植物の「壁」としか形容しようがない。
しばらく逡巡したが、大人しく迂回することにした。














さて、胡四王山を再び登り直し、藪を抜けた反対側へやってきたぞ。
疲れた……
















槻の木船場跡。
いつの間にか北上川沿いの道になっていた。
この辺りは薄暗い森になっていて少し不気味だ。
















森を抜けて集落に出てきた。


















収穫を迎えた田園を歩く。


















この辺りはコースマップも曖昧で標識もないのでよく分からない。
道が変わったのかもしれないが、それっぽい畦道を歩く。

















久しぶりに(壊れた)標識を見つけた。


















広い田園を歩く。


















国道に出てきた。


















猿ヶ石川を渡る。


















早池峰山から遠野を経てはるばるやってきた猿ヶ石川もいよいよ北上川に合流するのだな……
やはり川は旅の相棒のような、親しみを感じる存在だ。
















広大な農耕地に出る。


















花巻東バイパスを潜る。


















バイパスの暗渠を潜った先で畦道に入る。


















対岸に凝灰質の泥岩が露出する、宮沢賢治曰く「イギリス海岸」が広がっているそうだが、正直何も見えない。

















北上川を朝日橋で渡る。


















河川敷の遊歩道を歩いていく。


















一度国道に出て、今度は豊沢川を渡る。


















橋を渡った先からが迷い道。
コースマップが曖昧でよく分からなくなる。
とりあえず橋を渡った先で細い路地に入る。
















迷った末に勘で道を歩いていると標識を見つけた。
Google My Mapsでは迷った痕跡は消して正しいルートを記しているので参考にしてほしい。
















突き当りに瀧清水神社があるが、ここは右折。(自分は左折してしまい、また戻ってきた)
その先に標識があるのでそれに従い進んでいくと、道とは思えぬような路地へ入る。
















埋設管管理用地と思われる道を歩いていく。
何とも不思議なコースだ。










終点近くに「雨ニモマケズ」の碑がある。
高村光太郎の筆による碑であるようだ。
ここは宮沢賢治が農耕生活をしながら晩年を過ごした地で、「雨ニモマケズ」の詩は死後に見つかった手帳に記されていたものだそうだ。
偉大な詩人は最後はこのような素朴な生活の中に人間の人生の希望を見出していたのだろう。
何か、切ないような気持ちになった。

















賢治詩碑前バス停に到着。
少し歩いた先に標識がある。
ここがゴール。
予定よりずいぶん遅くなってしまった……
続けて連絡コースを歩く。
急がねば。
         

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