2019年4月30日火曜日

              

新・奥の細道(岩手)『No.32伝説義経北行コースのみち(1)』

2019/04/30(火)

すでに平泉で観てきたように、源義経は平泉にて藤原秀衡の子、泰衡に攻められ自害したとされるのが通説だが、いわゆる判官贔屓により義経の死を哀れんだ者たちが語る源義経不死伝説というものがある。
平泉から逃れた義経が北海道まで渡り、海を越え、後にチンギス・ハーンとなったという有名なアレである。
そんな伝説が残る古刹を巡る、というのが本コースの趣旨である。
序盤はコースマップが間違っているので、案内板の写真を撮っておくと良い。
コースのほとんどが車道なのでやや退屈な感はある。













No.31からNo.32まで連絡コースを歩くが、これも短いので記事としては割愛する。
川を渡る。

















国道に合流すると案内板が見えてくる。
あれが本コースの起点のようだ。

















この案内板は写真に撮っておくことを強く勧める。
序盤のルートがコースマップとかなり違っていることが分かる。
















集落を抜ける。


















集落の裏手の坂を上る。


















弁慶屋敷跡とのことだが、どこだ?


















弁慶屋敷跡からは少しの間、山道を歩くのだが……ずいぶん荒れているな。


















路面が洗掘されていたり、倒木が多くて歩きづらいことこの上ない。


















荒れた区間を抜けたようだ。


















車道に出てきた。
一見すると横断してそのまま山道を歩くのか、と思いがちだが、案内板によるとこのまま車道を歩くようだ。
















小さな峠を越える。


















山を回り込むようにして、再び上り坂に。


















五位塚古墳に着いたようだ。
少し観ていこう。

















五位塚古墳。
古墳と名が付いているが古墳ではなく、藤原氏の先祖の墳墓らしい。

















少し休憩して坂を下っていく。


















む、蕎麦屋か。
実は昼を食べそびれているのだが……ちょっと時間が押してるので食べずに急ごう。

















豊田館跡に寄り道する。


















豊田館跡。
初代藤原氏の館の跡だそうだ。
東屋で少し休憩して、プロテインバーを食べた。
ポンチョを脱ぐと肌寒いな。















坂を上っていくと……分かり辛いがここに入るようだな。
少し藪っぽい。

















住宅街を抜けて向山公園に入る。


















旧後藤家住宅。
古い民家を移築したものだ。

















向山公園から降りると終点の多聞寺跡がある。
源義経が投宿し、その謝礼として「笈」(行者が経文などを入れる箱)を置いて去ったとされているが、火災で全て焼け、今は往時を偲ぶのみとなっている。
















多聞寺跡のすぐ側に明治記念館となっている旧岩谷堂共立病院が建っている。
病院にしては教会か天守閣のような奇妙な建造物だが、塔屋の部分では鐘を鳴らしていたそうである。
内部は自由に見学できる。















少し歩いて今日の宿へ。
恐らくこの町唯一のホテルだ。
ゴールデンウィークだが、なんとか予約が取れて良かった。
         

0 件のコメント:

コメントを投稿